えび茶ゾーン

2014年4月14日

第911回

 未来永劫(えいごう)に変化しないものは世の中には存在しない。この経験的真実に反するかのように、「日常」はあたかも永遠の繰り返しとしてわれわれの前に立ち現れる。となると、この日常観は私たちの思慮の浅さから生じる誤解なのだろうか。重病を患う、あるいは家が火事になる、あるいは大切な人を失う、こういうことは、誰にでも起こり得る。起こって初めて、私たちは自分たちが「日常」と呼んできたもののかけがいのなさや脆(もろ)さに気が付く。

 しかし、それは、私たちの浅はかさを示していると同時に、私たちが日々大過なく過ごすための知恵をも示しているのではないだろうか。例えば「自宅が火事になるかもしれない」と心配し過ぎていつも家にいようとする人は、満足に余暇を楽しむことも、自由に仕事を選ぶこともできないだろう。「日常」の頑健さを過信することは愚かだが、その脆さを過度に恐れ生活することも決して私たちを幸福にしない。両者の間のバランスをうまく取ることが大切だ。

 2011年3月11日以降、このバランスをとることが一層難しくなったように感じている。放射性物質のエネルギーの巨大さやその半減期のあまりの長さに圧倒され、その健康への影響も実は思ったより明確になっていないことを知り驚く。その上、放射性物質を科学的に理解しても、それだけでは「日常」に与える影響を予測するには全く足りない。この何重もの曖昧さや無知の中で、私たちは今だけではなく将来の「日常」にまで影響を及ぼすエネルギー政策を選ばなくてはならない。(KS)