えび茶ゾーン

2014年6月2日

第916回

 朝の連続テレビ小説の一コマで、「薔薇(ばら)は薔薇でなくとも香る」というシェークスピアの戯曲に物申す主人公が小気味よい。名は大事ではないか、薔薇は薔薇だからこそ美しく咲き香るのではないかと。なるほど言葉から得られるイメージは人によって異なるとはいえ、心を伝える道しるべと思えば、名も含めてありのままに薔薇をいとおしむのがより自然かもしれない。

 名は体を表すなどと古来からよく言われるが、言葉は使う人により変わってゆく。無礼千万だの、表現力が乏しいだのと、老害じみたことを言うつもりではないのだが、十代後半の若者の単語に戸惑うことは少なくない。彼らが伝えたい心をくみ取るには、小生の語彙(ごい)力はまだ勉強が足りない。

 ただ大学にあって彼らが自らを生徒と呼ぶことについては、シェークスピアほどの創造性による所産とは言い難い。大学で学ぶ学生諸君らは学生であって生徒ではない。呼び名にこだわって煙たがられようとも、学生は学生だからこそ学ぶことがあると思う。生徒のそれではない。

 しかしながら、かつての呼び名に居心地の良さを覚えるのか。古い衣を引き摺(ず)る脱皮の残滓(ざんし)なのか。やがて今の衣も古くなる日が来ることを思えば、多少背丈が足りずとも背伸びすればよいと思う。舞台と脚本と役があって役者がある。名も含めてありのままの学生諸君にきっと観客は喝采を送る。 (MK)