えび茶ゾーン

2014年10月20日

第925回

 2020年の東京オリンピックまで後6年。オリンピック招致活動でキーワードとなった「お・も・て・な・し」と公共マナーの関係性について近頃よく考える。

 以前東京に滞在した米国の友人は、日本人の手の使い方を褒めていた。日本人が両手をそろえて名刺を差し出したり、店のレジで店員がレシートを客に渡すときにもう片方の手を添えたりする動作が日本舞踊のように優雅で、相手が自分を丁寧に扱ってくれているように感じるのだという。外国人にはそんなふうに映るのかと驚いた。

 だが、そういう形式的な部分はさておき、日本人の公共マナーは国際基準以下だと思えて仕方がない。それを一番感じるのは、公共の場で手動のドアを通る時だ。

 私が長年住んだ米国では、子どもは幼いころから、ドアを通るときは自分が先頭に立ち、皆が出てしまうまでドアを押さえて待つようにしつけられる。そのドアを通る人々が交わす温かい言葉や笑顔に心が和む。

 東京ならどうなるだろうかと、これを一度ショッピングモールの両開きのガラスドアでやってみた。すると、ドアを押さえている私には目もくれず、私とバトンタッチしてドアを持つ様子もなく、次から次に客がそそくさとドアをすり抜けた。おまけに、最後にドアを閉めようとしたら、反対から来た客が勢いよく開けたもう片方のドアに危うく顔面直撃を食らいそうになった。

 日本が世界に誇る「お・も・て・な・し」は、さりげない気配りと、心の余裕を反映したマナーをひっくるめたものであるはずなのにと、つくづく思う。(Y・S)