えび茶ゾーン

2015年7月6日

第947回

 

 日本人は「頑張る」という言葉が好きである。レポートや小テストの返却の際にも、不本意な結果を受け取った学生から「次頑張りますんで」のひと言がポロリと漏れる。あるいはキャンパス内で教え子に遭遇し数分の立ち話の後で、去り際に「じゃ頑張ってな」という言葉がついこちらからも出る。

 

 日本では「努力する」ことが美徳と教えられてきた長い歴史がある。さすがに今は見掛けないが、昔はどの小学校にもまきを担いで読書する二宮 金次郎(にのみや きんじろう)像が校庭の傍らにあった。勤勉や刻苦勉励のシンボルであろう。資源のない日本の経済発展の原動力が、日本ならではの教育や人材育成にあることは周知のことである。80年代のバブル時代は世界がこぞって日本経済の急成長に注目していたときで、その成功の秘密の一つが教育に求められ、特質の一つとして頑張りの精神の涵養(かんよう)があった。

 

 かくして日本人の性向に合った教育のやり方としての「訓練」あるいは「修練」的要素は今もって健在であるが、教師の役割はどうであろう。生徒や学生の自立を促すために、詰め込み役ではなくファシリテーターであるべきといわれて久しいが、実際はどうか。

 

 ある高校の海外の姉妹校は、日本に修学旅行に来て交流は1日だけで、あとは温泉を巡り、かつ浦安のテーマパークで過ごすという。教師の役割が学習者に適切な刺激を与え能力を引き出すことにあるとすれば、案外こういうのもアリなのかと思える。あんまり頑張らない修学ならぬ「遊学」旅行も学習効果てきめんで、時には見習ったらどうか。(MT)